2016年09月04日

16249 宮ぷーの講演原稿です(その1)

第2586号 宮ぷー こころの架橋ぷろじぇくと
2016年9月4日現在 参加者人数6298人

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土日のことについては、またあとで書かせていただきますね。ただ、私は宮ぷーの講
演の原稿を前もってもらっていたので、今日はそれを、載せます。
昨日、どんなふうに、聞いていただけたか、私は木曜日に書いているのでわかりませ
んが、最初に書いた原稿をまた書き直してつくりあげた宮ぷーのすごさに、とても感
動しました。宮ぷーはひらがなで、入力しました。そのまま、アイパッドのかなトー
クに入れたら、聞いてみると、とても聞き取りづらかったのです。たとえば、「わた
しは」という言葉も、ひらがなのままだと、「わたし」「は」と読んだり、「レッツ
チャット」という文字も、音声はなんだかおかしかったのです。それで、小野っちに
相談したら、漢字に置き換えてみたらどうだろうと思って、置き換えました。今度は、
違うふりがなをつけてよむこともあって、そこはひらかなになおしたりしました。そ
んなふうに、わたしが手を加えてはありますが、文章については全部宮ぷーが作文し
たものです。

<引用ここから>・・・・・・
皆さん、今日は、銀河の雫の初上映会に、来てくださってありがとうございます。
映画はいかがでしたか?
僕は白雪姫プロジェクトを、応援したり、この映画の配信をしている、一般社団法人、
ロバの耳の代表理事をしているみやぷうこと、みやたとしやです。
このように 自宅から 遠く離れた 仙台の地まで 飛行機に乗って 僕が来られる
とは 以前の僕には 予想もできませんでした。
われながら 驚いています。
僕のように 普段、座位保持装置に乗っているひとが 飛行機に乗るためには 航空
会社をふくめて 多くの人たちが じつにいろいろの 事前の用意が 必要です。
はたしてそんなことができるだろうかという迷いもありました。けれど、多くの方が
僕の背中を押してくれました。僕が、いま、このステージに立つまでには多くの物語
があったと感じています。

僕は今から、およそ7年半前の二千九年二月はつかに、脳幹出血という病気で倒れま
した。倒れる前日まではおろか、当日の昼までさえ、病気の気配はまったくありませ
んでした。
それは突然、訪れました。
夜中にひとりで自動車の運転をしていたとき、突然、だんだん体が自由に、動かせな
くなったのです。
曲がりたい小道の交差点で曲がれません。
それでもなんとか車を家のすぐ近くの、勤務先の駐車場にとめることができ、そこか
ら家族に電話をかけました。
家族と言っても、当時、僕のまわりで、頼りになるのは、近くに住む妹がいるくらい
でした。今もそうですが、僕はひとりぐらしでした。

電話の声も、うまくロレツも、回らず、それも真夜中に、自分の居場所を妹に伝えら
れたのは、奇跡に近いと思われます。
しばらくして妹が来てくれました。
そして、救急車を手配してくれました。
この時、妹がすぐに、来てくれなければ、きっと死んでいたでしょう。
脳幹出血の生存率は、ものすごく低いのです。
およそ1割しかありません。
こうして、僕は、大学付属病院に、かつぎこまれました。

実際のところ、僕の状態は、絶望的だったと思います。瞳孔は開いたままで、舌が口
から出てしまっていたそうです。内臓の動きもなく、呼吸器をつけないと息もできな
い状態だったそうです。

最初は、僕に関わってくださった4人のドクターのうち、3人が、「このまま死なせ
てあげたら」と言われたそうですが、残りの一人のかたが、僕が年齢的に若いので、
生きることはできるかもしれないと言われたそうです。
けれど、生きていても、もういっしょう、目覚めることもなく、植物状態だろうと思
われました。
そんな僕が、いま、このステージに立って、みなさんの前に立てたのは、かっこちゃ
んが、特別支援学校で、子供たちといて、回復方法があることを、知っていて、常識
とは違うかもしれないけれど、その方法でリハビリを続ければ、回復すると信じて疑
わなかったからです。

大学病院での 2ヶ月間の記憶はほとんどないけれど、倒れたすぐから、かっこちゃ
んが、大丈夫、みやぷうは大丈夫と言い続けてくれたことは、なんとなく、記憶とい
うか、感覚は覚えています。
そのころから、かっこちゃんは、グラグラした体の僕を、隠れて起こしたり、揺らし
たり、話しかけたり、し続けてくれたようで、映画などを見て、すごく感動をして、
感謝しています。
もし、どんなことをしても、無理と思っていたり、方法を知らなかったら、すぐに、
体も、硬くなり、今頃、立つリハビリもできていなかったと思いますし、それどころ
か、思いも、伝えられないままに、いたことでしょう。

意識が戻ったときに、僕は体のどこも動きませんでした。何かを伝えたくても、何
もできない。でもそのときに、かっこちゃんの顔がいつも目の前にあって、だいじょ
うぶだと言い続けてくれました。僕のわずかな動きも決して見逃さないという、かっ
こちゃんの思いというか、技術が、僕の気持ちを引き出してくれました。そうです。
ほんの一ミリの動きに、かっこちゃんは、気付いてくれました。このとき、僕は、相
手に、自分の考えが伝えられる喜びを、実感しました。わかってもらえた。わかって
もらえた。それは、ひとすじの僕の生きる光となりました。それまでは、ドクターで
さえ、僕には意識があると、思っていなかったのです。
これをきっかけにして、僕の体は、ちょっぴりずつ、動き出したのです。
やがて、イエス、ノーのみで、伝えることしか、できなかった僕が、ほんのすこし動
かせる指につけたスイッチとレッツチャットという機械を、使って、いろんな人に、
思いを伝えられるようになりました。

こういう機械を、意思伝達装置と言いますが、実際、僕のいた、病院で、これを使っ
ている人は他にいなかったと思います。かっこちゃんが、特別支援学校でひとりひと
りの子供達と、コミュニケーションを取る方法を、ずっと、探し続けていたことで、
知っていたのです。
ところで、このように書くと、すぐに、回復したように、見えますが、自分で思うよ
うに、合図が送れるには、六ヶ月のつきひが必要でした。
僕は心がどちらかというと、弱いと思います。すぐにめげそうになるし、どうせ何を
してもかわらないんだと思ったこともありました。でも、死ぬことを考えたのは一度
だけでした。妹に殺してくれと頼んだときに、妹が、「どうして、私がお兄ちゃんの
ために、人殺しにならないといけないの。それは絶対にいやだ」と言ってくれました。

何度もかっこちゃんに、「このままもう変わらないと周りの人はいうけど、かっこ
ちゃんは回復するという。どちらが本当なの?」と尋ねました。そのたびに、かっこ
ちゃんは、「あきらめなければ、回復する。回復するかしないのは、誰が決めるわけ
でもない、ドクターが決めるのでもない。それは宮ぷーが決めるのだ」と言いました。
あきらめない。決してあきらめない。その心でいれば、人間の中にあるものすごい力
で、回復していけると僕はいまは信じています。でも、実際はまだできないことがほ
とんどです。この講演の文字も、書くのは簡単ではありませんでした。
ひともじひともじなので、とても時間がかかります。この文章は、完成前に3ヶ月以
上もかかっています。

僕の回復に応援をしてくださったひとりが、「僕のうしろに道はできる」の映画を
撮ってくれた岩崎靖子さんです。最初は、回復はしないと思われていました。そんな
僕を一生懸命とっても、映画にはならない可能性もあったはずです。でも、回復を信
じて映画を撮ってくれました。映画をとってもらっているから、がんばろうという思
いもとても大きかったです。
転院した脳神経外科病院には、およそ、6年間、入院していましたが、しだいに、
かっこちゃん以外の人が、何人か、本当に、奇跡的な、出会いなどが、いろいろあっ
て、来ていただけるようになりました。
ありがたかったです。その人たちは、チームみやぷうという名前になりました。

チームみやぷうができて、ぼくのリハビリを手伝ってくれるようになったのです。
それまでは、かっこちゃん一人でしか、できないリハビリが二人でするようになって、
パワーアップできたし、それ以外にも、病気になったおかげで、こんなにも、人とい
うのは、優しく、温かいものだと知ることができました。
僕は倒れる前、あまり人を信じられる方ではありませんでした。
けれど、チームみやぷうの皆さんは、それぞれが、自分の家庭があるなか、ボラン
ティアで来てくれています。感謝してます。人というものは、こんなにも優しいもの
なのかと僕は、よく考えます。今のぼくがあるのも、チームみやぷうのみなさんの
おかげです。

もちろん、病院のスタッフのみなさんにも、大変お世話になりました。皆さんや、
かっこちゃんや、チームの皆さんのおかげで、少しずつですが、回復をして、体のい
ろいろなこところが、ちょっとずつ、動き出したのです。
そんなふうにして、リハビリをして、5年後に、病院を退院して、一人暮らしが始ま
りました。
一人暮らしから2年経ちます。訪問看護師さんが毎朝来てくれて、朝の用意をしてく
れて、僕はデイケアに行きます。帰ってくるのを、かっこちゃんとチームのみなさん
の誰かが待っていてくれます。
チームみやぷうの方々もかっこちゃんも、毎日来てくれます。何年もそれを続けるの
は、本当にすごいことだと思います。自分だったらできない。できないことを、して
くれていることに、感謝の思いで、いっぱいです。
(その2につづく)

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Posted by ほこぴー at 12:33